本文へスキップ
kaabuki



電気が発明されるまで

 
LED導入ストーリー



 LED蛍光灯について調べていたら、電気の生まれるまでに、凄く白いドラマがあることを知ったんだ。ここでは、人が電気に気付いてからエジソンが白熱電球を生み出すまでのドラマをお伝えしたいと思います。お急ぎでないかたは、是非読んでみて下さい。

 まず、人類で最初に電気の存在を記述した人は、BC600年に生きたギリシャの哲学者、ターレス(Thales)という人なんだ。ターレスは琥珀(ギリシャ語でエレクトロン)と毛皮を摺り合わせると、摩擦電気が発生すると記述したんだ。普段、何気なく電気(electricity)と言っているけど、その語源はここから生まれたんだね。

 
時は流れて、1600年に、イギリスの医者で物理学者のギルバート(W.Gilbert)という人が、色々なもので炭素棒をこすると電気が起こることを発見したんだ。でも、ギルバートは元々電気の研究をしていた訳じゃなく、磁石の研究を約20年間も続けていた人なんだよ。その当時は、方位磁石がなぜ南北を指すのかわかっていなかったけど、ギルバートが地球が大きな磁石であり、それが方位磁石が北を指す原因だと発見したんだ。そして、電気と磁気とが異なるものだということも発見したので、その後の科学技術の発展に大きく貢献したんだ。

 そして、1746年になって、初めて静電気を貯める装置が発明されたんだ。発見したのはオランダのマッシェンブレーケ(P.van Masschenbroeke)という人で、静電気を貯める装置を発明したのが、オランダのライデン大学という大学だったので、ライデン瓶と呼ばれているんだよ。一般的に、蓄電容量はそれほど大きなものではないんだけど、実験の途中にマッシェンブレーケの共同研究者が感電で死亡しているから、この時代に既に相当な電気を蓄える手段があったんだね。

 1800年になって、ようやく蓄電池が発明されるんだ。発明者はイタリアの物理学者ボルタ(Voltaで、電圧の単位のボルト(V)の由来となる人なんだ。ボルタが発明した蓄電池をボルタ電池を発明して、その後の電気の発展に偉大な功績を残した人なんだよ。
 ボルタは他にも発明があって、ライデン瓶に蓄えた電気を使って、約50Km離れた拳銃を発射させたりもしたんだ。この時、導線で電気を送る為に、木の板を使って地面から絶縁したんだけど、この方法が後に電信の発明へとつながるんだよ。


 そして、このボルタと親しかったのが、ハンフリー・デービー(Humphrey Davy)という、イギリスの科学者で発明家なんだ。ボルタから電池を発明したと連絡を受けたデービーは、すぐにロンドン王立協会にかけあって2000個のボルタ電池を用意して、世界で初めて電気を使った明かり、アーク灯を灯したんだ。この後、アーク灯が電気の光として使われていたんだけど、発光効率が悪かったので、新しい光の発明が待たれていたんだ。

 ちなみに、このデービーという人は他にも数多くの発明をしていて、気体の研究では、麻酔剤を発明して後の医療や歯科治療で使われるようになったんだ。そして、アーク灯を発明した電気の研究では、電気分解の先駆者として様々な物質を電気分解していったんだ。彼が発見した元素は6つもあって、これだけの元素を発見した科学者は、デービーただ一人なんだよ。

 更に、デービーは当時炭坑などでランタンからメタンガスに引火して、大きな事故が多発していたのを憂い、ランプの火を金網で包んだデービー灯を発明したんだ。この発明を評価されて、デービーは当時のイギリスの平民では最高の栄誉となる準男爵の称号を得て、翌年には王立協会の会長に就任したんだ。

 そして、デービーの最大の功績と言われているのは、マイケル・ファラデーを実験助手として採用したことで、ファラデーはこの後、師のデービーに勝るとも劣らない数々の発見や発明を行ったんだよ。

 ところで、ボルタが電池を発明してから100年ぐらいの間に、電気にまつわる発見や、科学技術が大きく進歩したんだ。有名な人を紹介すると、電流(アンペア)の名前の元になったアンペール(A.M.Ampere)、電気抵抗(オーム)の元になったオーム(Ohm)、電磁石を発明したヘンリー(Joseph Henry)、電磁誘導や電気分解の法則を発見したファラデー(M.Faraday)、ペルチェ効果を発見したペルチェ(Jean-Charles Peltier)、電動機を発明したトーマス・ダベンポート(Thomas Davenport)、通信手段として、モールス符号を考案したモールス(Samuel Morse)、電流の熱作用を発見したジュール(J.P.Joule)、電場と磁場の考え方を導入したマックスウエル(J.C.Maxwell)、そして、電話を発明したベル(Alexander Graham Bell)と、教科書に載るような偉業が次々と生まれた時期だったんだよ。

電気の火が灯るまで


 このように基礎的な研究がなされた後に、いよいよかの有名なトーマス・エジソン(Thomas Edison)の登場になるんだよ。でも、エジソンにとって白熱電球は最初の発明ではないんだ。少し発明家エジソンの歴史を振り返ってみると、若い時のエジソンは一流の電信技師として活躍しながら、最新の科学技術を学んでいたんだ。そして、議会の電気投票機で初めての特許を取得するんだよ。ところが、議決の時間を短縮する為に開発したこの発明は、議会で牛歩戦術を使えなくなるという理由で、議会に採用されなかったそうなんだ。このことから、エジソンは万人が欲する物を発明することを目標に以後の発明家としての人生を踏み出したんだそうだ。そして、次に発明したのが、株式相場表示装置「ティッカー」だったんだ。このティッカーの特許は、登録の翌年に売られることになるんだけど、当初5000ドル程度だろうと思っていた特許が、なんと4万ドルもの値がついて売却されたんだ。この資金を元手に、エジソンは研究所と工場を建設して、本格的に発明家として歩み始めたんだ。

 子供の時のアクシデントで難聴になったエジソンは、ベルが電話機を発明した後に、難聴者の自分も聞き取りやすいに、音質の良いカーボンマイクロフォン形式の電話機を発明するんだ。この方式は、現代の電話機の基盤となる物で、ベルの発明した電話機よりも高音質だったんだよ。けれども、これが発端になって、エジソンはベルと電話機発明者の権利を争うはめになったそうだよ。そして、この電話機の開発の途中で、相手に声を掛ける時によく使う言葉、「Hello」が生まれたと言われているんだ。

 そして、電話機の研究の中で、声を記録するための機械が必要になると直感したエジソンは、蓄音機の発明に着手するんだ。音の波長を記録することで、音を自由に再生できる蓄音機を発明したんだけど、当時としては信じられない発明で、蓄音機の一般公開の時に、ある牧師が「機械が喋るはずがない」ということで、聖書の中の読むのが難しい一節を早口で吹き込ませたんだ。当然、蓄音機はまったく同じ早さで再生したので、牧師は仰天すると同時にすっかり感心して、エジソンに向かって「あなたに神からの祝福があるように」と言って帰ったそうだよ。

 このような業績を作った後に、エジソンは白熱電球の改良に着手するんだ。発明じゃないのか?と思うだろ?実はエジソンは白熱電球を発明している訳ではないんだ。白熱電球の発明者はイギリスの薬品工場経営者のスワン(Joseph Swan)という人だったんだ。ところが、スワンの発明した白熱電球は寿命が短くて、実用化できるものではなかったんだよ。そして、1878年にエジソンが白熱電球の改良にとりかかったんだ。

 ここからはエジソンの逸話の中でもよく聞いたことがある話になっていくんだけど、エジソンは白熱電球の改良をするために、世界中から6000種類もの材料を集めたんだ。そして、その材料をひとつづつ炭にして、点灯できる時間を計測していたんだそうだ。いくら実験を続けても成果の上がらない様子を見かねて、「もう4000種類も試したんだからいいじゃないか?」という友人に、「まだ、2000種類も可能性があるじゃないか!」と言って実験を続けたそうだよ。そして、実験に行き詰まった時、ふと目の前に置いてあった竹の扇子を見つけて、その竹で実験をすると、なんと!200時間も点灯したんだそうだ。そうして、竹が白熱電球のフィラメントに適していることを知ったエジソンは、当時の金額で10万ドルをかけて、全世界へ20人の竹採りハンターを派遣したんだそうだ。彼らは1200種類もの竹を全世界から集めたんだそうだよ。そのうちの一人の竹採りハンターが日本に来た時に、時の首相だった伊藤博文に会って、「竹なら京都に行きなさい」とアドバイスをもらって京都の八幡男山付近の竹を採取して帰ったんだ。この竹が世界中から集めた竹の中で最長の2450時間の点灯記録を残したんだ。

 ようやく白熱電球の実用化に目処が立ったことで、エジソンは白熱電球を販売する会社、エジソン総合電気(Edison General Electric Company)を設立したんだ。この会社が後のゼネラル・エレクトリック(GE)のルーツになるんだよ。そうして、京都の八幡男山から、肥料の使っていない8年から10年ものの真竹を10月から12月に収穫して、根から1メートル上の12節で外皮を1センチ幅にして100本づつ束ねて納めるようにと細かい指示を出したんだけれど、1894年まで八幡男山の竹は使われ続けて、何百万個の白熱電球に使われたんだそうだ。この白熱電球は、販売当初から採算割れした低価格で販売されたんだけど、低価格ゆえに大量に普及して、製造コストも下がったことで、3年後には研究開発費や製造コストの赤字部分を取り返して、大きな利益をもたらすことになったんだ。ちなみに、京都男山の石清水八幡宮境内にはエジソンの記念碑が建っているそうだよ